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今こそ、鳥取らしさが大事です。

久松山のふもと、東町で育った私にとって、久松山とその城の石垣など主な風景はずっと変わりがありません。 おそらく200年前の藩政時代も同じだったでしょう。

久松山下周辺の整備が始まったのは、昭和40年代。あの頃からすればこの風景はずいぶん近代化されました。県庁の第2庁舎建設、武道館建設のため周辺の家はどんどん移転。幼な友達はみな引っ越しました。当時の久松小学校は木造校舎。お堀端の大名蓮は満開になると、とても美しかった。その蓮もいつか全部取り去られ白鳥が泳ぐようになりました。思い出のあるものが取り壊されるのは、子ども心ながら残念でした。

平成に入り、鳥取の中心市街地は駐車場とマンションが急に増えています。これを妙に無機質に感じるのは私だけでしょうか。「素人にできるわけがない」と笑われながら、三十二万石の城下町や武家屋敷の保存など、まちづくりのためのNPO法人をつくり、多くの仲間とさまざまな活動をしてきました。これらの運動を通して私が考えてきたことは「本物の鳥取文化と先人の心を伝えたい」ということです。子どもたちが自分たちの住む鳥取を知り、誇りを持ってそれを日本中、さらには世界の人々に伝えて欲しい。

地方分権の時代、そして国際社会の今、地域の個性がますます尊重されてきています。かつての国主導から今は住民主導の時代を迎えています。鳥取市民の方々の歴史・文化遺産に対する意識は高まっています。今こそ鳥取らしさ、鳥取の尊い歴史・文化遺産を見いだし、それを活かした地場産業の振興と住民が主役の「自立した鳥取市」をつくりましょう。